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向導寺(泉区・岡津町)阿弥陀如来坐像の修理が終わり、「令和5年 度横浜市指定・登録文化財展」でいよいよ公開されます。

 「横浜の仏像」展(令和2年開催)に出品された、横浜市岡津町の向導寺の阿弥陀如来坐像についてお知らせします。このお像は部材が外れ朽損も著しい状態でしたが、この度修理を経て「令和5年度横浜市指定・登録文化財展」でお披露目されます。修理の過程や処置内容は後日報告する予定です。


はじめに

 横浜市歴史博物館で開催された「横浜の仏像ーしられざるみほとけたち」展(2021年1月23日~3月21日)をご覧になった皆様は、もしかすると、横浜市泉区岡津町にある向導寺の阿弥陀如来坐像についてご存知かもしれません。


「横浜の仏像」展 会場の様子

 展示が終了してから少し時間が経ちましたが、当時、仏像の各部がバラバラだったものを仮組して展示に耐えられるようにし、公開しました。そして、この度、令和4年度の一年をかけて修理を行い、「令和5年度横浜市指定・登録文化財展」でお披露目することになりました。

「令和5年度 横浜市指定・登録文化財展」会期:2024年2/3(土)~3/10(日)

 「横浜の仏像」展を見ることができなかった方々のために補足しますと、この展示は、長年にわたる横浜市文化財総合調査の集大成的な位置づけであったもので、横浜市域の仏像を体系的に展示する初めての機会となりました。
 また、当時美術史分野による展示は、博物館にとって開館以来のもので、かつ仏像彫刻の展示も、1997年に開催された「中世の世界に誘う 仏像 院派仏師の系譜と造像」以来でした。

向導寺 阿弥陀如来像の展示までの経緯

 向導寺の旧本尊であるこの仏像は、関東大震災で大破して、バラバラの状態で、本堂須弥壇裏に積まれていたところ、昭和54年(1979)の横浜市文化財総合調査で確認されたのち、昭和63年(1988)の横浜市文化財総合調査であらためて見出されました。

 そして、昭和63年(1988)に横浜市文化財保護条例が施行されたとき、横浜市指定有形文化財の第一号として指定されたものの、長らくお出ましする機会がありませんでした。その後、平成12年(2000)向導寺の本堂建て替えとともに、お寺が無住となる際に緊急避難的に博物館に運ばれ、以来当館に眠っていたお像でした。


向導寺本堂

 阿弥陀如来像は残念ながらいつ頃から向導寺に伝わるか正確なところはわかりません。しかし三日月型の眼に、ふっくらとして整った丸顔は何とも言えない包容力を感じさせ、なで肩でそして薄い体の厚みには、平安時代後期の定朝様といわれる様式の仏像を思わせます。また、仏像の造りや細部の表現には古様をみせ、12世紀に遡る製作であろうといわれています。

 横浜市指定文化財第一号という象徴的な文化財であること、横浜市域に残る平安時代の仏像のなかでも、とてもすばらしい仏像であるため、何とか「横浜の仏像」展に出せないものかと考えていました。

展示前の仮組準備の様子

 当時は、あまりにも状態が悪く展示に耐えられるものではありませんでしたが、「横浜の仏像」展を機に再調査が行われ、さらに長年、仏像修復を担う(株)明古堂にお願いして、「横浜の仏像」展に出品できる状態にしてもらいました。

「横浜の仏像」展での阿弥陀如来像 展示の様子

修理そして「文化財展」でのお披露目

 折角展示公開をしても、状態が悪いことには変わりなく、「横浜の仏像」展会期中、この仏像に対して何かできないかと考え微力ながら修復費に係る、募金を行いました。結果、予想以上に来館のお客様の反応があり、会期53日間で約50万円におよぶお気持ちをいただき、この度の修理費用の一部にあてさせていただきました。

 そうした経緯があり件の阿弥陀如来像は、令和4年度にいよいよ修理に着手することになりました。そして向導寺様、横浜市教育委員会生涯学習文化財課、横浜市文化財調査委員(当時)の山本勉先生、修理を担う(株)明古堂、そして横浜市歴史博物館職員が集まり、修理の方針を話しあいました。

 その後、阿弥陀如来像を明古堂の工房に移動させ、具体的な修理内容について検討を重ね、修理が完了し今年度の「文化財展」で皆さんにお披露目することになりました。

 実際の修理の過程やどのような処置を施したかといった詳細や、阿弥陀如来像についての造りや、彫刻史的な内容、追ってご報告したいと思っています。

修理完成後の阿弥陀如来像【撮影】荒井孝則


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